2025年3月4日火曜日

ピサの斜塔の不思議と魅力

   ジェノバからピサの斜塔観光までは電車を利用し、娘と孫と私たち夫婦で行く。婿殿は仕事のためジェノバ駅でお別れ。私たちは指定席に乗り約2時間の車窓を楽しむ。イタリアの海が続く、海の崖風景は宮崎駿のアニメ風景によく似ている。イタリアがモデルだったかな?モンッツアに戻ったら宮崎駿のアニメをもう一度観てみようか。

ピサの駅から大きな橋を渡たり、街を通り抜ける。この風景は過去のイタリア観光地と似ている。と言うかどこもかしこも同じに見えてくるってことは、記憶力の低下に他ならない。両脇の中世の建物は小さな老人を飲み込み、疲労を与える。孫と一緒にイタリアを回ることができるるのはあと何回だろうか?娘に呆れられるほど、日程を何度も確認する夫を見ていると夫も確実に歳をとっている。私もである。

駅から歩くこと30分、両脇に中世の建物が並ぶその中央にピサの斜塔の頭が見えてきた。夕陽に照らされて白亜の塔はおとぎの国を連想させ美しく、清楚なドレスをまとっているようだ。建物をくぐり抜けそのそばに行くと想像していたよりも傾いて見えなかった、斜塔から大聖堂広場へ歩き斜塔と距離を置くと、傾いている傾いている。4度くらい傾いているらしい。とにかく観光客はみんな手を塔にかざして斜塔を支えるポーズを写真に収めている。ふむふむ我々も同じポーズをこっちであっちで、カメラマンの指示に私の腕は斜塔を支え過ぎて痛くなった。

もういいよ。疲れた。今日は宿で夕食にしよう。

今流行りのフロントもなし従業員もなし、暗証番号をうち、部屋に入る。ベッドとリビングがあり、屋根裏にもベッドあり。螺旋階段の屋根裏はババは落ちたら大変無理。孫は大喜び「まあまあいいじゃあない」と生意気なことを言っている。連日続きのレストランに飽きたので、この日は質素倹約。娘は買い出しに行き、青梗菜の炒め物に豚と牛肉の中華炒めをゲットしてくる。味はともかく移動しなくていいことは疲れない。この日は早く寝て、早く起きて、ピサの斜塔に上るぞ。

大聖堂の鐘楼であり、世界遺産、高さは地上55.86m、階段296段を上るはずである。1173年着工1372年完成。600年以上前の歴史、傾いてよかったのか悪かったのか。

さて、準備万端だったはずだが、ここには純粋たるイタリア人婿はいない。チケットを買う場所がよくわからない娘。当然我々は全くわからない。ウロウロするだけ。行動ではありません。頭と首の運動です。

はてさてどうするの日本人3人は停止。

こうしたハプニングは旅の想い出となるわけで、前日のミステリーの続きをしましょう。婿殿のご両親は結婚45周年、その時以来どんな来客にも使わなかったステンドグラスのワイングラスをこともあろうにあの老人夫は首にかけていた携帯の紐で引っ掛けて、見事に爆破させてしまったのです。唖然、私はちびまる子の顔。どうしてくれるの、何をするの。となったわけです。おまけにもう一つ今度は自分は夫よりしっかりしているとまだ私の方が若いと思っていた私がですよ、夕食レストランで首に下げるバックを椅子にかけて、それを置いたままレストランを出てしまったようで、駐車場で夫が鬼の首を取った如くバックを渡す。呆れることと爆笑の渦。孫のババに対する評価はまたまた減点。寄り道終了。

困った時は本物に聞くに限る。娘は携帯でチケットを婿に取ってもらいことなきを得る。

ピザの斜塔は、その傾いた姿が特徴的です。紀元前からローマ帝国の海軍基地として機能していたピサ市は、11世紀ごろから地中海の貿易国として栄え、15世紀初頭にはフィレンツェ共和国に占領され、その歴史的な背景を甦らせるピサの斜塔に上るぞ。だが入場まではI時間ある。孫は斜塔を描くと言う。夫は警護隊になり私と娘はサンドイッチを買いにと言い訳をしてコーヒーを一杯いただく。孫の描いたピザの斜塔の描写は7歳にしてはうますぎだ。孫馬鹿なり。「みんなが荷物を持っていないよね」と娘が気がつき、係員に聞きに行く。荷物は全て荷物置き場に置くそうな。やれやれよかった。ロッカーに入れて、斜塔入り口に並ぶ。ルンルン気分の孫。だが、斜塔の一階広場の傾きに恐怖を抱きはじめる。狭い大理石の螺旋階段は滑る。石が減って中央が凹んでいる。傾斜を感じる。すれ違った日本人の子供は怖い怖いと泣き叫んでいる。日本語ペラペラさんはそれを聞き、ますます恐怖の渦の中に突入する。「ババ、ネパールに比べたらへいっちゃらって言ってたでしょう」遅れ気味のババに罵声がとぶ。しょうがないよネパールは自分のペースで登るけど、ここは否応なしで上らされる。泣き叫ぶ孫とハアハアゼイゼイのババでした。その後ピサ大聖堂を周り、心の中でみんなおんなじだよなーと呟くババ。

日日是好日


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