大変なことがおきている。
河川の氾濫は次から次へと
被害を広げていく。
どうか、命をお守りください。
被害の少ないことを願います。
あの日もそうだった。尋常でない雨が降り続く。
家の脇の坂道からゴウゴウと音を立て流れ勢いの強さに立っていられない。
しばらくして避難勧告。
愛猫マメはまだ1歳。「お母さんおいていかないで」と震える目。
マメを自宅に残ししての避難。
夫は公務優先でした。私は義父母と近所のおばあさんたちを
トラックの荷台に乗せ第二避難所へ向かいました。
避難所付近はもう洪水状態、とっさの判断でまず近隣の人をトラックから下し、私はひとりトラックを高台の駐車場へ。
それから、避難所で炊き出しのお手伝いをする。
しばらくすると実家の両親の家の敷地が崩れたと携帯が鳴る。
恐怖と不安の時間は氷のようだ。
避難所を抜ける、橋げたに襲い掛かる濁流。恐怖心よりも
実家が心配になる。膝まで水につかり、足はなかなか前に進まず。
くたくたになり、1時間以上かかり豆撰に到着。
豆撰の無事を確認して、すぐに駆け足をする。
実家の玄関前でうなだれている両親と妹夫婦そして子供たち。
玄関が浮いている。やじろべいのように。
かける言葉はない。
怪我のなかったこと、家族が無事だったことは今に思えば
とても喜ばしいことなのだが
あの時は、庭の半分が崩れ落ちたことのショックと復旧できるのだろうか
とマイナスの部分だけが頭の中でかけまわってしまいました。
そして、自宅に戻ってみる。
交通止めのところに車を置き、自宅まで走る。
大きな杉の大木が屋根にかかっている。家は存在する。
夫が遠くから家をみている。
「お父さん、お願いマメを連れてきて」
「ああそうだったな」と家に飛び込もうとしたその瞬間
大きな音、鈍い音、地鳴り、どう表現したらいいでしょうか
その瞬間
「お父さん、待って」と夫の腕をつかむ。
山は崩れ、我が家は土砂に押し出されてしまう。
その瞬間に見たものは
娘が生まれてからの映像が走馬灯のように流れるのです。
フイルムの早送りです。
不思議な現象です。一瞬のうちに25年の歳月が浮かぶのですから。
何もかも失ったような、人生の終わりのような、虚無感。
両親と私たちは叔母の家にひとまず身を寄せることになりました。
家を失ったので借家探しからはじめました。
その合間に、土砂に埋まった瓦礫に向い、叫ぶ「マメ!」
1週間、朝晩に声を張り上げ探す。
あきらめなかったのは隣のお父さんが夜にマメに似たような猫をみたと言ってくれたからです。東京から駆けつけていた娘と必死に叫ぶ。
すると、マメが瓦礫の中から姿を現したのです。
でもそれからはいくら呼び寄せても
姿を見せませんでした。
2週間が過ぎ3週間…私は決断、リュックと餌をもって裏手にまわり、今日は出てくるまで絶対にがんばるぞと意気込みました。
名前を呼び続ける,餌を肴に?痩せて、
もはや、飼い主を忘れたかのような震える目。
餌でつり、持って行ったリュックに頭からかぶせ…工事現場の人を呼びとめ
私とマメは仮住まいに無事到着。
それでもマメの震える目は長く続きました。
水を飲み生きていたようです。
あれから、11年。
今でも大きな音には震える目なります。そして押入れに潜り込むのです。
私たちは生きています。その後の地震、そして想像を絶する津波。
今また、その恐怖がよみがえるのです。
震える目が私の心に突き刺さる。
どうか、命だけはお守りください。
生きていさえすれば、苦しいこともいつか癒える日が必ずやってくるのですから・・・・・・。
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