2017年6月15日木曜日

高齢社会の現実は?姥捨山であってはならない。

朝からフル回転で仕事をこなす私。
昼食はレトルトカレーですまし、黙々とコンピューターとにらめっこ。
その間に、お馴染みさん、初めての方からご注文の電話。
嬉しくって、声が弾む。
世間話に相づちも、時計は四時を回ってしまった。
残りの仕事を超スピードで終わらせ、ようやく母の入院見舞いに行くことができました。
病院内を駆け足で走り、病室へ。
母は起きていました。
なんだか、いぼっている(機嫌が悪いような)感じです。
見舞う時間が遅かったからでしょうか
話すことのできない母の気持ちを読み取るのはとても難しい。
入院する前から認知症はジワジワと進行していました。
だから、今脳梗塞に倒れ、左全体が麻痺し、言葉が出ない母は一体
何を考えているのかわからない。
赤ちゃん頭脳なのか?それとも、もしかして何もかもわかっているのだろうかと
私の心が不安になる。

病室のベットを起こすと、四階の窓の外から、ちょうど同じくらいの高さに
電車の走るのが見えました。
「電車だよ、見えた?」と母に問うと、かすかに頷く。
「今日は何を食べた?ジュースかな?」
母が小さな小さな声で「たべない」と口を開く。
びっくりする、母が喋った。声が出たのですから。

病気と介護、病院と施設、高齢者の多い日本、これからその仲間に入るであろう私。
医療の現場には様々な問題が山積みになっている。
特老施設がどんどん増えているけれど、療養施設はストップとのこと。
本当に必要なのは療養型介護施設ではないだろうか……。

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