2017年6月20日火曜日

命日に思い出す

10歳しか違わない私と叔母は
まるで姉妹のように育てられました。
叔母の父、つまり私の祖父は私が生まれる年に他界しました。
私は祖父の生まれ変わりかもしれません。
叔母は自分の父親を亡くした年に、私が生まれたので
妹同然に接していたと思います。
呼び名も「姉ちゃん」と「れいこちゃん」でした。
いつでも、どこでも一緒でした。部屋も一緒、朝ごはんも夕ご飯も一緒。
姉ちゃんの好きな人は、水原弘と石原裕次郎。私が映画好きになったのも
姉ちゃんの影響かもしれません。
おいらはドラマー、ヤクザなドラマー……。
裕次郎の映画を小学生の私は、ちょっと大人の気分になって観ました。
テレビ映画の「コンバット」も一緒に見ていました。
意味がよくわからなくても、一緒に見ることに意味があったのです。
いつも一緒の姉妹のようでした。
だから
病に倒れた時の悲しみは、切なくて、切なくて……。
命に限りがあるとわかってからは、 毎日、毎日病院と小出まで通いました。
それも仕事が終わってからですから夜の7時過ぎ、8時になることもしばしばそれでも姉ちゃんは夕飯を食べずに私を待っていました。
あれから16年回目の命日でした。
忘れてなんかいません。いつも想っています。
ただ、ごめんなさい。
母ちゃんがね、寝たきりになってね。今は毎日毎日
あの時のように、病院に通っているの。
ほんの少しでもいいから口から、水が飲めるように
リハビリしているの。
ほんの少しだけど、喋れるようになってね。

姉ちゃんのこと忘れてなんかいないよ。

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