守門岳の麓から流れる刈谷田川は、栃堀から下流の豆撰までの間には
いくつもの橋が架かっています。今では見られませんが木の橋からコンクリートの橋、
それぞれの橋には想い出があり、その橋を通り過ぎ、川の流れに沿って歩き始めると
私の「ゆめのかよいじ」が始まります。
上流の橋の手前は川の水は透き通って、大きな石がごろごしています。
イワナをとり、炭火焼してもらったと義母は何回も何回も
その美味しい味が忘れられないと 嫁の私に話します。
義母が懐かしく昔話をするのも「ゆめのかよいじ」でしょう。
宮沢橋の手前は石でせき止められた場所は涼しく絶好の水遊び場となっていました。
また、高校生時代、美術の写生時間、私は絵筆を取ることを忘れ、夢中でめだかとりを
しました。先生に「何しに来ているんだ」と叱られてばかり・・・・・・。
もうじき「ゆめのかよいじ」の映画場面
八月七日「石積み」の日がやってきます。
親より先に亡くなった人の代わりに栃尾の子供たちが積む「石積み」
石の積み重ねを毎年毎年見続けると
亡くなった肉親をはじめ、私の心を通り抜けて行った人々の数がだんだんと増えていることに
気がつきます。
今回は33年前を振り返ってみました。
まだ、私が保育園勤務をしていた時です。娘がお腹にいて、流産のおそれがあり
実家で 過ごしていた時です。
私のクラスの3歳の可愛い女の子と一年生になったばかりの姉が
親戚の家の駐車場に入り、車から降りようとしたその瞬間に事故は起きました。
ふたりとも重症でした。血だらけの姉は「妹は大丈夫か」と救急車の中で言い続けていたそうです。
病院に搬送され、しばらくして二人とも息をひきとったと連絡がはいりました。
私は号泣し、何がなんだかわからなくなりました。
あれから、33年なのです。私の中では、娘はあの姉妹の代わりのように思えてなりませんでした。
このお盆には、あの可愛く、あどけない姉妹の「ゆめのかよいじ」 にしたいと
想っています。
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