2014年7月13日日曜日

あの日から10年が過ぎ・・・・・・。

10年前の今朝の雨音は異常でした。緊急呼び出しを受け、当時役所勤めの夫は「もしかしたら
今日は帰られないかもしれない」とつぶやき役所へ。
私は豆撰へ。雨は槍の如く降り、豆撰の店の前は流雪構からは泥水があふれ
この様を見て、自宅が危ないと直感
とりあえず、スタッフにお願いして自宅へ向かう。
私の自宅付近に避難勧告が出ていました。近所には若い人はいません。
若い夫婦は共働きです。家に残されたのは老人のみ。
幸い、私は軽ラックで自宅に戻りましたから、ご近所の老人を荷台に乗せ、
避難所に向かいました。
ところが避難所への道は泥水であふれ、車は動かなくなりました。
老人たちを荷台から下ろし避難所に連れて行きました。
まずは一安心、炊き出しの手伝いをして・・・・・・。
今度は携帯電話が鳴り響きます。
私の生まれた山の家が土砂崩れのため大変と妹からの連絡。
私の頭の中はもう何がなんだかわからなくなりました。
とにかく行かなければ、山の家には両親が住んでいるのですから、
道路には私の膝上までつかる泥水が音を立て唸っています。
びしょびしょになりながら濁流にのまれないよう、裸足になりました。
40分の道のりをその倍以上の時間を費やし
実家へようやく辿り着くと、落胆というより唖然としている両親と妹夫婦。
どうにか、家は持ちこたえていました。
この衝撃には、心臓が止まりそうでした。
すぐに我にかえり、実家がこの状態なら私の自宅はどうなのかと
不安は大きくなり、ふたたび自宅へ向かいました。
自宅前に夫が呆然と立ちすくんでいます。大きな杉が我が家に倒れているのですか
ら、「猫は?猫を助けて」と叫ぶと夫は我に帰り「ああそうだった」と家に飛び込もうとした
その、瞬間です。ゴーと山が唸り、大木の杉が山と一緒になだれ込んだのです。
もし、あの時夫が家に入っていたら、夫の命はなかったかもしれません。
忘れてかけていたあの日・・・・・・。
今こうして、生きている私たち家族。生きてさえいればと生きていることに
手をあわせ感謝しなければと、あらためて思っています。

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