2016年9月20日火曜日

妹・・・まり子





雨に濡れた彼岸花の写真をみつめていると


父と母がふたりがかりで
壊れ物を抱くように、お風呂に入れていたまり子を思い出す。
昭和32年。

私は3歳。
妹まり子は生後3ケ月。
「たいどく」で死んでしまった。
丹毒というのが正式な病名かもしれません。

頭に腫物ができているのです。
おばばは「いじると、おこるってがんに」と私につぶやく。


親戚の人が座敷にいっぱい集まって、
お膳がたくさん並べられていました。
父はまり子が死んでしまったことを親戚の人に話しています。
背の高い父はうなだれ、声が震えていました。
「生まれたばかりですから、葬儀をしないことも考えましたが
こうして、皆様からお集まりただき、良かったと思います」

死について知る由もない3歳の私の記憶です。


それから、母の姿がなく
私は2階にかけあがり「母ちゃん」と呼ぶと
部屋の隅で嗚咽していた母が
「あっちに行っていなさい」と泣きながらいうのです。

これが私がはじめって知った「死」です。
妹まり子の死は私にとって不思議と悲しい気持ちではなかった。
ただただ、母の涙と父の震える声に
怯えを感じたのです。

それから、50年が過ぎ、父は闘病中に妹まり子の50回忌を迎えました。
今から9年前のある日。

父と母と私は菩提寺に行きました。
住職の読経はそれぞれの心の中にどう響いたのでしょうか
「俺の仕事はすべて終わった」と
菩提寺の世話人役もおり
お寺を後にする父の背中は小さく小さく丸まっていました。

その後4か月後に父は他界。

彼岸花「曼珠沙華」は雨に濡れています。
父の涙のようです。
生きていてほしかった妹。
3姉妹で喧嘩したり、笑ったりしたかったね。





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