2014年1月21日火曜日

命日


祖母は明治の夫人らしく、いつもきりりと着物を着ていました。
買い物でも、保育園の送り迎えでも
おしろいを塗り、紅をさし、髪を結い、母と比べると
実にハイカラな、おばあさんでした。
祖母は、着物が大好きで、よく呉服屋さんに行きました。
呉服屋さんの帰りには魚屋さんと果物屋さんに寄ります。
私の記憶ですと、一度もお金を出して買ったことはありません。
つまり、「つけ」で買うのです。
月末になると、我が家にいろいろなお店の人が集金に来ます。
現金収入がなくても、平気で買い物をする祖母。
祖母が病気になり入退院を繰り返すと
はじめて我が家は貧乏でお金がなく大変なことを父から知らされたのです。



そんな祖母の最期は、病院のベッドで家族、親戚に囲まれ見守られている時でさえ
気丈に振舞い、「夜遅いこの時間、みなさんから帰っていただくように」と
言った事をはっきりと覚えています。

もちろん、私は家に帰され、妹と生まれたばかりの従妹を背に
仏壇に手を合わせ、祈り続けました。
しばらくしたら
雪の中、そりにのせられた祖母が家に担ぎこまれました。私は中学生でした。
悲しくって、せつなく、泣き続けたことを思い出しました。
私の父は末っ子の叔母と私を火葬場には連れて行けないといいました。
これ以上悲しい場面をみせたくないと父の配慮だったようです。
次から次へ祖母を思い出し、豆撰から自宅へ雪の中を歩いていたら、あっという間に
昨日は家に着きました。家にたどり着くほんの少し前に「命日」だったことに気づきました。


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