栃尾のひな祭りは4月3日です。一ヶ月遅れの旧暦なのでしょうか。
丁度ひと月前の今頃、母と祖母と私たちで1年ぶりに木箱の中から取り出し、
赤い縮緬を敷き、雛人形を並べていた子供のころを思い出します。そして、4月2日になると、
一日早くしまわれるのです。娘がお嫁に行くことが出来ますようにと願って・・・・・・。
今ではどこの家庭も3月3日の行事になっているようです。
栃尾にも雛ものがたりがあります。古い雛人形はは長岡の殿様から、箱にしまわれ 旅に出されたのです。そして、一日かかって豪商の家にたどり着きました。殿様は豪商の働きを褒め讃え、雛を豪商に預けたのです。一年に一回、雛たちは箱から出してもらい、お酒とご馳走を添えていただきます。静かな世の中を心穏やかに見つめるのです。それから時代は過ぎ、雛たちはまた引っ越しました。借金のかただったのでしょう。そして、その年の4月2日にしまわれ、また長い眠りの旅が始まりました。箱に入ったまま、年月は過ぎました。雛たちの面長な凛々しい顔だちが箱の中で、眉をひそめるのです。雛たちはまたしても主人の都合で、お布施の代償として、お寺の門をくぐることになりました。そして、長い旅が終わりに近づいたのは昭和の時代でした。
しかし、雛たちが箱から出されたのは平成になってからです。
そのずうっと前のこと、戊辰戦争後に雛たちの最初のご主人様、殿様の御位牌の預けられていたお寺で、誰の目にもも止まることなく、物置に片付けられていたのです。
時は流れ、時代は変わり、戦争を繰り返している日本を嘆きながら、箱の中でじっと耐え、平和の来る日を心待ちにしながら眠り続けたのです。それから戦争のない時代がやってきました。雛たちは窮屈な箱の中で、手足を伸ばし、喜んでいました。それから半世紀くらい過ぎたころに雛たちとその持ち主の殿様のお位牌と一緒に現世に導かれたのです。今から10年くらい前のことです。
長い旅は終わり、一年に一度雛段に飾られ、口元には笑をうかべます。なん百年旅をしてきたのだろうか、その間に耳をすませ、箱の中で願ったのは、一体どんなことだったでしょうか、人間の欲は、雛たちの気持ちとは裏腹です。
雛たちには、ただただ安住の場所に自分たちを飾ってくれる、優しい手があればそれでいいのです。そして、祖先のお位牌に会えたことが何より嬉しかったのかもせれません。
この季節になると雛人形にも想いがあるように、私にも雛人形ものがたりを語ったくれた亡き父への想いがあるようです。
写真は毎年お店に飾る小さなお雛様とお内裏様です。
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