今から13年前、大好きな叔母は右肩が痛いと訴えてきました。
56歳でしたから
「50肩でしょ、整形病院に行ってみたら」
と軽い応答をする私。
「なんだか、手術しないと治らないそうよ、でも1ケ月動けないんだって」
様子を見ることにしました。
それからも「痛くて、眠れない」と悲痛な助けを求める叔母の声
症状を詳しく聞き
医学書を読みあさりました。
そして私がたどり着いたのは
肺がんか骨肉腫だったのです。
もちろん、叔母の家族には言いません。私の仮説ですから。
「どうか大きな病院に診てもらって」と家族と本人を説得しました。
その結果は、不幸にも私の素人判断が当たっていたのです。
整形から内科にすぐ回されました。
検査の結果は肺がんでした。
こんなことあっていいのでしょうか
もし、初診で見つかっていたらと強い怒りがこみ上げてきました。
しかし、患者も家族もなすすべなく、もちろん家族でない
私には、まったくどうしようもないことだったのです。
なぜ、医療は専門化だけに研究が進んだのでしょうか?
医療器具の発明進化に並行して、専門化は今もなお進んでいるようです。
しかし、医師は総合的知識をもっと身につけてから
専門分野に取り組むべきと思うのは私だけでしょうか
例え、初診で叔母の病気が見つかったとしても
命の長さは、変わらなかったかもしれない・・・・・。と
家族も、私も「あきらめて」しまいました。
「あきらめ」は決して次の世代に「誤診」をしない
大切な診療を考えさせることはできないのではと思っています。
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