2015年1月9日金曜日

珍道中静岡最終編


 前回からのつづき
さて、我が家の新家族4人で過ごす、最後の晩餐会が近づいてきました。つまり、娘夫婦はミラノへ戻るわけです。
 その、最後の晩餐会は娘が見つけた「自然食品を使っています」と書かれていた居酒屋。
タクシーを飛ばし、お店前に到着。
ががーん、7時だというのに「準備中です」と店主らしき人に断られてしまいました。
豪華なお昼も逃し、さらに最後の晩餐会も・・・・・・。
 仕方なく、たどり着いたところは、なんと新潟のお店だった。なんでそうなるの・・?
それでも最後の晩餐会にふさわしい品数の多さ、〆鯖、鯵のたたき、牡蠣、枝豆・・・並んだ皿数は豪華絢爛、まるで王宮料理の皿の数。そして、4人はお腹いっぱいになり、満足。晩餐会は無事終了。

 次の日は晴れの予想です。
朝早くから富士山を見ることで意見は一致。

 8時半にホテルを出てタクシーに乗り込み運転手さんに質問
「今日はどうでしょうか?富士山みれますか?」
「もう少し走ったらすぐわかります・・・・・・ああ、残念だね。この正面に富士が見えるはずなんだけど、雲で・・・おとといまでは素晴らしかったんだけどね・・・・・・」
運転手さんと協議の結果「三保の松原を先に行って、東照宮を廻っているうちに、頭くらいはみえるかもしれないね????」

 そして、三保の松原へ、何にも見えません。どこにも富士山はありません。
「ここのこの場所の松の向こうに富士が見えるはずなのよ、だから、もうイメージしてよ」と見えないものを見るように、強制する私。でもみんなは裸の王様の気分に はなれないようででした。3人は無口になりタクシーへ乗る。そこへ戻って来た夫。カメラに写っている三保の松原と富士山の絶景を私たちに見せびらかせる。(前回ブログ)
外人婿殿は「どこで?」とタクシーから降りようとする・・・。
待て!待ってくだされ婿殿。「そこに大きなパネルがあった」とつぶやく夫。3人は「あっそう」と笑い声に混じり冷たい視線を夫に向ける。

 仕方ない、仕方ない、いざ久能山へ出陣。
1159段ある階段を上り、東照宮を参拝。
一回りして出口を抜け「どうして家康のお墓がなかったの?」と私の質問に夫は案内図を見て「一番奥にあるって書いてあるぞ」ああ、そこまで行かずに下山してきた4人はなんという「アホ」もちろん、4人はもう一度上りました。汗だくになりました。
 高台にあるお墓と私は対面し、家康さんにどうしてこの地に埋葬をするように依頼したのか聞いてみました。
答えは、「戦のない世を見続けたいから」と・・・・・・。これは私の願望。
そして、帰り際、娘夫婦に「家康は正室を切り捨て、後に秀吉の妹を正室にしたんだよ」と説明すると、外人婿殿は娘に「切られないように」と一言。3人で爆笑。
やれやれ・・・。


 それから、日本平へ、はじめて体験するロープウエイにちょっと不安な表情の婿殿。
日本平に到着、せっせと見晴らしの良い場所目掛けて駆け上がる。
どこどこどこ??????
雄大な霊峰の影も形も「ない」ではありませんか。
「お昼を食べ終わったころには見えるから、お昼先に食べましょ」と近くのレストランへ。

 食べ終わったころ娘が「運転手さんが言ったよね、新しくてステキなホテルにレストランがあるって・・・・・」
私は3度目の落胆に声も出ず・・・・・・。
4人で再度富士を拝見するために・・・・・。
少しだけ見えました。興奮しているのはもう一組の、それも外人さん。その興奮している声に私たちも右習い。「見える、見えたよね」と興奮と安堵の声。
記念写真をとり、今度はコーヒーを飲み待つことに。
これが最後のチャンスです。駆け足で上ると、富士の頭が雲の上に出ていました。 その美しかったこと。

 これにて、静岡紀行は終了させていただきます。幕。

 珍道中にはもう一つ落ちがありました。
「おい、どうした新しいカメラは?」と夫が婿殿に尋ねる。娘が先に答えました。「電池切れ・・」
私たちと一緒に行動するうちに、私たちに似てきたようでした。おしまい。

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